近年の復興事業
新住職は22歳
昭和58年10月28日、先代住職が遷化されたあと現住職がその意思を継ぐべく跡をとりました。しかしながら、昭和57年に高野山大学を卒業したばかり。檀信徒の皆さんの先代への信頼が、あまりにもあつかったので
「果たして自分にできるだろうか??」
という不安でいっぱいでした。若干、22歳のおはなしです。


小さくてもいい 一年にひとつの事業を
先代住職が命をかけて復興されたこのお寺・・・大好きだった先代老夫婦の意思を継いで私も頑張らなくては! と思いました。
考えてみると、栄えていたころのお寺の本尊さまとしてお祭りされていたのもこの本尊さんだし、焼き討ちにあって衰退していく姿を見ていたのもこの本尊さんです。住職としてご縁をいただいた限りは、もとの姿に戻すことは難しいことですが、それに少しでも近い姿になるように努力することが住職としての勤めであると考えました。
また、お参りされた方が
「ああ、いいお寺やな。また来たいな」
と思っていただけるようなあたたかいお寺にしたいと思いました。
そのためには伽藍を整備しなくてはいけない。よーし、やるぞ!!小さくてもいい、一年にひとつの事業を実行しようと思いました。

手洗い堂 昭和59年
一年にひとつの事業をという気持ちをまずは、先代住職のご長男(私にとってはおじさんになる)にお話しました。すると
「よっしゃ、それやったらわしも協力するわ。前から手洗い堂が汚いと思っていたところや。お寺におまいりするときに一番に手や口を清めるところを作ったるわ」
横からおばさんもニコニコ笑いながらうなづいてくれました。私の代になってはじめて建立したお堂が手洗い堂でした。
また、六甲山から流れてくる清水を使用していて、のどの病に効くというお話で、この水を“観音水”と名づけました。

地蔵堂 昭和59年
同じ時期にお賽銭がまとまった金額になっていたので、気になっていた地蔵堂を建立したいと考えました。地蔵堂が完成したときはうれしかった〜。きれいなお堂の中でお地蔵さまが満足な顔をしてニコニコ微笑んでおられるように思いました。

鐘楼堂 昭和60年
芦屋市在住のKさんのご主人が亡くなられ、ずっとお参りさせていただいておりました。お参りさせていただいたある日、奥様から信じられない言葉をいただきました。
「鐘楼堂っておいくらぐらいかかるのかしら?」
突然の言葉にびっくりしました。
「想像もつきませんが、高いと思いますよ。なぜですか?」
奥様はお話をはじめられました。
ご主人は鐘が好きで、どこのお寺にお参りされても鐘があれば「ゴーン」と一突きされたそうです。ところが、ご自分の菩提寺である鷲林寺に鐘がない。このことをずっと残念に思っておられたそうです。ご主人が亡くなられたあと奥様は、ひそかに
「主人の菩提のために鷲林寺に鐘楼堂を」
と思っておられたとのことでした。早速に工務店に聞き合わせて欲しいとのことで見積もっていただきました。想像以上の金額でした。しかし、奥様は鐘楼堂をご寄進すると言っていただきました。
落慶法会には大勢のお寺さんにお願いして、盛大に執り行いました。
今までひっそりとしていた鷲林寺の杜に「ゴーン」という清らかな鐘の音が響くようになり、身も心も洗われる思いがいたしました。


本堂内陣整備 昭和61年
まずは本堂からと思い、本堂の荘厳類を整備しました。先代住職がある程度整備されてはいましたが、自分が日々拝みやすいようにしました。きれいになった本堂を見てますます頑張ろうと思いました。

稲荷社  昭和62年
大阪の信者さんのKさんが、地蔵堂が綺麗になったのにとなりのお稲荷さんがそのままでは気の毒だとおっしゃり、稲荷堂を寄進していただきました。ありがたいことだと感謝いたしました。

弁天社 昭和63年
稲荷社に続いて、弁天池の弁天社も寄進していただきました。

信者会館 平成2年
先代の時代に信者さんが休憩されるお茶所がありました。お茶所が古くなって危険であるということから、取り壊してその跡地に信者会館を建設しました。鉄骨での建物なので丈夫なものになりました。一階部分を信者さんの休憩所として2階部分を宿泊できるようにしました。

多宝塔 平成5年
先代住職の夢であった多宝塔建立に関しても不思議なことがありました。
先代の意思を継いで何とか多宝塔を建立したいという一心で努力しましたが、何せ莫大な金額がかかります。何とか先代住職の最後の仕事として完成させたいという気持ちばかりが先行して思うようになりません。先代から続いている心経会も休むことなく続けましたが、参加していただいている方々も段々年をとってこられます。中には他界された方も大勢おられます。何とか完成させたい。
そう思っているある日のこと、檀家さんのおひとりが
「多宝塔、多宝塔と住職は言っているけど、本当に建てたいのですか??」
と質問されました。
「はい。建てたいです」
そう答えますと
「いくらの予算ですか??」
「○億円です」
「いくら足らないの??」
「1億円です」
「1億円あれば建つのですね??本当にあなたが建てたいのなら協力してあげましょう」
驚いて腰が抜けました。仏さま お大師さまは本当におられるんだなあと思いました。平成3年の出来事です。
そのおかげで、また大勢の檀信徒の皆さんのおかげで、念願の多宝塔建立に着手できたのです。平成3年から5年にかけて約2年間の歳月をかけ建立されました。
先代が思いつづけて30年、わたしが10年・・・合計40年の年月をかけた汗と涙の結晶です。

平成5年5月9日。多宝塔落慶法会を執り行いました。先代老夫婦をはじめ、大勢の檀信徒の皆さんが夢に見た多宝塔・・・しかし、それを見ることなく亡くなってしまわれた方々が大勢おられます。その方々の菩提を祈るためにも100人のお坊さんに供養していただきたかった。
おかげさまで高野山より管長猊下を大導師さまにお迎えし、宗務総長をはじめとする本山ご重役方、結衆寺院、法友寺院などなど合計100名強のお坊さん方のご協力のもと盛大に落慶法会を執り行うことができました。

持仏堂 平成6年
庫裏の一部分を改築して持仏堂をつくりました。持仏堂とは住職の念持仏をおまつりする場所ですが、本堂が冬になれば大変寒く、法事などをするときに大変不便でありました。冬場の法事をクリアーすることも考慮してこのような部屋をつくっていただきました。

阪神淡路大震災 平成7年
平成7年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。この震災で阪神間 淡路は大変な被害を被りました。鷲林寺は六甲山系の岩盤の上に位置していたことが幸いしました。というものの、鐘楼堂全壊、庫裏半壊、護摩堂半壊、多宝塔傾斜、本堂内陣全滅、修行大師倒壊などなど大きな被害を被りました。ただ、鐘楼堂以外の建物が倒壊しなかったことだけは助かりました。
この震災にて6432名の尊い生命が奪われました。その中には多くの檀信徒の皆さんも含まれていました。謹んでお悔やみ申し上げます。

鐘楼堂再建 平成8年
阪神淡路大震災にて倒壊した鐘楼堂を再建しました。鐘自体が割れてしまったお寺もありましたが、不幸中の幸いとでもいうのでしょうか、鐘だけは残りました。
また、引き続いて被害にあったお堂などの修理をしていただきました。

庫裏増築 平成13年
震災にて不都合なとがあり庫裏の増築をしました。しかし、現在の建築基準に順ずる建物ではなかったため、すべて壁などをはがして筋交いを入れるなど、大掛かりな工事となりました。しかし、おかげさまで立派な建物に変身しました。

護摩堂新築 平成14年
先代が造られた護摩堂が阪神淡路大震災にて基礎部分が割れてしまい、かなり傾いておりました。しかし、毎月の例祭日には信者さん方もお堂に入り護摩を焚いておりました。体感でも傾いていることがわかるほど傾いておりました。
そんなとき、大阪の信者のKさんがご主人の菩提のためにご寄進していただくことになりました。
荒神社新築 平成18年
鷲林寺伽藍鎮守 八肘荒神をおまつりするお堂です。八肘荒神とは鷲林寺建立に際して登場するソラン神のことです。鷲林寺にとって、御本尊さまと並び大切な荒神さまです。
西宮市在住の檀家さまよりご寄進いただき建立されました。
  

石垣工事 平成18年
鐘楼下は竹薮であった。その下には西宮市指定文化財 七重石塔がある。水みちにもなっていて、とても危険な状態であったため、石垣を造る工事をする。

説法のできる公衆トイレ新築 平成19年
あとに使用される方が気持ちよく使ってもらえるように。そういった気遣いが求められる昨今、『説法のできる公衆トイレにしたい』という施主さまの思いから、心に響くことばを短冊に思いを込め、トイレを利用する人に語りかけるように工夫されています。平成22年には西宮市から『まちなみ建築賞』を受賞しました。

八大龍王堂 平成20年
大阪の信者さんのご寄進によって建立されました。鷲林寺におまつりする八大龍王は、10mほどの洞穴の奥におまつりされています。古文書には、この洞穴で役行者が龍神を拝んだと書いてあります。八大龍王は修験道の龍神で、鷲林寺がその昔、六甲修験道の入口のお寺であったことを物語っています。洞穴の前に拝殿として建立されたのが八大龍王堂です。

本堂改築 平成22年
十夜法会が執行されることの記念事業として本堂が改築されました。

聞き耳地蔵尊・愛愛地蔵尊・矢受け身代り地蔵尊 
平成22.23.26年

三体地蔵として西宮市在住の檀家さまによって寄進されました。ひとりじゃないよ。みんな仲間だよとやさしくお寺に迎え入れてくれる愛愛地蔵菩薩。愚痴・悩みを黙って聞いてくれる聞き耳地蔵菩薩。願い事をひとつ聞いてくれる矢受け身代わり地蔵菩薩。三体のお地蔵さまにお参りして、笑顔で元気になって帰っていただきたい。そんな願いで建立されました。

しゃくなげ庭園整備
 平成26年
兵庫県主催の『県民まちなみ緑化事業』として鷲林寺が選ばれ、事業の一環としてしゃくなげ130株をはじめたくさんの木々が植樹され、庭園として蘇りました。

昭和58年晋山以来、皆さまのおかげをもちまして、ひとつずつお堂が出来上がっていきます。ありがたいことだと感謝申し上げます。
先代老夫婦の意思を継いで益々努力させていただきますので、相変わりませずご指導ご鞭撻いただきますようお願い申し上げます。
ご参拝の皆さまが、気持ちよく過ごしていただけるような空間 そんなお寺になるよう一生懸命に拝ませていただきます。

近年の復興事業
昭和59年 手洗い堂 新築
昭和59年 地蔵堂 新築
昭和60年 鐘楼堂 新築
昭和61年 本堂内陣整備
昭和62年 稲荷社 建立
昭和63年 弁天社建立
平成2年 信者会館 新築
平成5年 多宝塔 新築
平成6年 持仏堂 改築
平成7年 阪神淡路大震災にて被害を被る
平成8年 鐘楼堂 再建
平成13年 庫裏 増改築
平成14年 護摩堂 新築
平成15年 本堂前石畳 整備
平成17年 伽藍鎮守 八肘荒神謹刻
平成18年  石垣工事 
平成18年  荒神堂 新築 
平成19年  説法のできる公衆トイレ新築 
平成20年  八大龍王堂 新築 
平成22年  本堂 改築 
平成22年 聞き耳地蔵尊開眼 
 平成23年 愛愛地蔵尊開眼
平成26年  矢受け身代わり地蔵尊開眼 
 平成26年 しゃくなげ庭園整備 



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